視点

 自分たちの方がアフリカの人たちよりましだという感覚で語られる豊かさの基準は、お金であり、物質の量や種類の豊富さであり、便利で楽ができるということにすぎない。その価値観から見ると、自給自足の生活は大変貧しく不幸だということになる。しかし、自給自足のサイクルがきちんとできている共同体は、意外と幸福指数が高いのではないか。彼等は、必要なだけの食べ物を獲得し、食べ物の循環のなかに自分を位置づけることで世界と調和した暮らしを営んでいる。だから、必要以上の欲に苛まれたり、駆り立てられることもない。
 またまた本人の了解も無いまま引用させて頂いた頂き物ですゴメンなさいね、もし気になるのであればいつでもご連絡下さい。削除はすぐさせていただきます。幸福を考える上で非常に面白いので短絡的に引用させていただきました。

 環境運動家である高木善之という方が講演会の中でよく話すのも、このような価値観だ、僕達がいま享受している幸せが本当のものかどうかを正しく見極めなくてはいけない。本当の豊かさというモノは単にお金やモノの中にあるのではない事を見抜くのでなければならないということだ。単にモノやお金は僕たちの幸せを約束してくれそうなものに違いない、だが地球的な視野から物事の本質を見抜くならば現代人が求めているような価値観では皆が幸せにはなれない、自分ひとりだけの幸せではなく本当の幸せとは皆が幸せになる事、幸福の基盤は地球的な視野から求められるべきということだ。
僕たちの幸福の価値観をこそ転換しなくてはいけない。
自分の立場からしかモノを見ない人ではなく宇宙的な視野こそが、この時代を動かすのだろう。

しかし未だに、
このような価値観から抜け出せないでいるのが現況である。
人は様々なしがらみの中でモガキながら死の世界に踏み入れる日を待つ、
ような存在ともいえる。
死の世界は間違いなく誰にも平等に訪れる
免れたものはいない
いまだかって一人の例外も無い漏れも無い
つまり
人の生命はモノや金とは別の世界に属する
質の違ったものだということであろう
ですから命は別のものに成るのでも無いし
もともと別なものとして存在していたといえる
それをモノに同化させたような生き方をしている方がホトンドだということ
質の高い魂を忘れて
モノに執着して
自分の命の可能性を忘却しているのではあるまいか?