中村 文昭の母

今年の7月の寒さはどうだろう?昨日までの暑さも今日の雨で一気に気温も急下降のようだ。

誰かが言っていた今年は冷夏だと、まさか?と思っていたけれども・・・

この気温の下降線を見れば納得かもしれない、と書いてたら急激気温も上昇で一安心。


東京の姉が来月の10日から1週間遊びに来るという、

北海道は東京人からすれば格好の避暑地らしいが、今年はそれ以上に

地震などの災害が予告・予言されている。

あるTV番組では特集が組まれてたり、

本屋をのぞくと大規模な震災の可能性を示唆するようなものもある。

願わくば、その様な災害が未然に防げますように。

それにしてもテロが多発し正義が道徳が道義が見失われるような時代の中で

正しい生き方を貫く事が、それでも何故正しいといえるのだろうか?必ず何事も原因と結果があって必然的に物事は進行するからだ、

つまり、より良い生活を願うならば、それに

見合うだけの原因となるような心を込めた丁寧な生活を心がけなくては

いけないからだ、<まずは心の状態を先行させ幸せの元になる幸せな心を作成する

事。

計算的な物質的な目標があって、その目標に到達することが幸せだと言う人もいるかもしれない、

ただ自己の利益だけを追求する生き方と、他者の幸せを願う生き方と

あるとしたら、貴方はどちらを選択するか?

宗教的な表現に近くなるという方もいるかも知れない、

宗教的な答えを期待していませんという方が確かにいるけれども、

何故、宗教的な物を拒み、それ以外のものだけを追求するのか?

自分勝手な価値観の追求で人生という大きな世界を生き抜く事が可能か?

人の生き様をじっくり見つめて欲しい。

皆が自分だけの欲得だけを追求する狭い偏屈な生き方を追及すればするほど

自分の幸せを放棄しているということに気が付いて欲しい。

中村文昭の母は見ず知らずの方を良く家に泊めて世話をしたという、

物心付いて母に『何故こんなに知らない方がいつも我家に寝泊りするのか』と尋ねたら

母は『お前が世に出たら沢山の方々にお世話になるからだ』と答えたという、

まさに人の為にとして差し上げる事が自分の幸せに必ず帰ってくるこの世の法則。(これは宗教的な答えだろうか?)

それは直ぐに答えが出ないかもしれないが、

間違いなく世代を重ねるうちに奇蹟的に輩出する事が起きる。

キリストが十字架に貼り付けになり処刑された、

そこから物語りは始まる、

一切を失い、一切を投げうってしまうところから、

人知では到底考えられない奇蹟が始まった、

神であるなら自分をこの十字架から救ってみろ、そう誰もが叫んだのかもしれない?

時代を振り返ってみたら、時の歴史を振り返ってみたら、

誰が何と言おうとも、キリスト教は世界を代表する宗教になった。

貴方は貴方の幸せだけを追求してはいないだろうか?

幸せの求め方には正しさが美しさが伴うという事を

記憶の片隅にとどめて行動したいものだ。

中村文昭は自分の人生をすなおという一つの価値観で生き抜いている。

彼の成功の秘訣は田端さんとの出会いも条件の1つに違いない、

もう1つはその言葉を受け止める事ができるすなおな心と実行に移せる行動力だ、

陰と陽の2つの要素が合わさった時、

大きな可能性は幕を開く。